今年の野菜生活の振り返り

今年の野菜生活

 小さな苗をホームセンターから買ってきたのは4月のことだった。私の都心での、可愛いぬいぐるみのセイウチちゃんとシャチちゃんとの生活に彩りを与えてくれた。苗と出会ったころは、手のひらに収まるサイズで茎が運ぶ間に折れないようにと気をつけた。早速プランターに植えて、肥料をあげ、水を与えた。近くには高いマンションがあり、日光が当たるところが移動するから一日に何度もプランターを動かした頃が懐かしい。日光と水を与えると驚くほどの成長を見せ、毎日毎日確かに成長していることが分かほどだ。トマトの背丈はどんどん高くなり支柱の高さを軽く超え、キュウリはどんどんつるを伸ばして物干し竿を伝っていった。ナスも私の顔ほどの大きさのある葉を広げた。

 青果店で並ぶ野菜がどのように成長するのかを見る機会は少ない。だから花を咲かせ、実ができる喜びはとても大きかった。何もない土に植えた植物が生長するのはよく考えると、とても不思議な現象だ。トマトの緑色の実が、しだいに赤く色づくことも不思議である。私から見ると、ただ茎が伸びたり実の色がついたりする変化は、植物の視点から見れば、体内で急速に何かが出来ているに違いない。例えば、トマトの実が赤く色づくにしても赤くなる物質をきっと作り出しているのに違いない。植物は、凄まじい速度で何かを作り出す工場になっているのだろう。ちょうど私は、大学で有機化合物を作る方法について学んだが、目的の生成物を作るために、たくさんの工程が必要でそして時間もかかる。こんなに大変な作業を、彼らは毎日当たり前のようにやってのけることは、本当に感服する。(実験室での作り方とは全く異なるだろう)

 7月の始め、ナスは私にたくさん恵みを与え、枯れてしまった。葉についた小さな虫が、瞬く間に全体へと広がり、一週間後にあっけなく弱ってしまった。こんな都会の地上6階までどうやって、虫たちはやってきたのだろう。野菜は簡単に病気になるし、害虫に犯されるから、農家さんの苦悩も相当なものなのだろう。青果店でおいしい野菜が手に入ることを感謝しなければならない。

 

今が最高!!

今を楽しむ!!

 

 最近感じる。数学や物理の教科書を読んでいて、楽しくて夢中になる自分がいるなぁって。脳科学的な言葉で言えば、あることに夢中になっていて他のことが気にならなくなる瞬間のことをフロー状態というらしい。自分が今学んでいることが、難しすぎても、逆に優しすぎても楽しくない。昔は、早く量子力学とか解析学とか、なんか聞いただけでかっこいい分野を学びたいって思っていた。しかし、それらを学ぶための基礎体力がない私が読んでもなかなか分かるわけもなく、自分って物理出来ないんだ、数学できないんだって思った。そもそも高校時代、クラスの中で物理も数学も秀でて出来たわけではない、そんなコンプレックスも思い出してしまう。親からも数学学んで何になるの、物理学んで何の得があるの、つぶしが効かないよって言われて、化学の道に進んだけど、なぜか物理や数学を独学で勉強している。最初はあまり関心のなかった(ちょっとばかにしていた)基礎の本から学ぶと、今まで分からなかったことが分かったり、新しい気づきがあったりして、自分意外に出来る子なんだって勘違いし始める。そんなド基礎から始めると「分かる」という体験が増えてきて、楽しくなったし、何よりうれしい。

 

 独学は、誰も目的地に連れて行ってはくれないから、遠回りをしたり、道が見えなくなったりする。自分が今どこにいるのか、正しい方向に進んでいるのかを分からないととても不安になる。だから最高の状態は、今どこに自分がいてどこに進んでいて、精神だけでなく身体も一緒の方向に進んでいるのがとても心地よい状態だ。

本を読んでみる

本を読んでみよう

 現代では、文章を読むことに対して敷居が高くなったのだろうか。ゲームや動画のように、受け身の立場では本は読めないので、本を読むという行為は心の準備が必要だ。こころの準備までして、なぜ僕たちは本をよむのか。我々は、向上心にまみれたストイックな人たちなのか?それはイエスでもありイエスでもない。

 私が考える本の好きな理由の一つは、その人が今までに大好きな本に出会えたかどうかである。夜中まで、宿題を忘れてとか、つまらない道徳の授業においても続きを読みたいと思ったそんな本との出会いがきっとある。

 

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好きな本を読んだ体験を増やす 時間を忘れて中毒になる

 今では、アマゾンを始めネット上で読みたい本が手軽に手に入る。しかし、普段本を読む習慣がない方が、自発的におすすめの本を探し、クリックして注文するとは思えない。実際に本屋に行ってみよう。本屋さんの一番見えるところには。人気の本が置いてあるし、書店員さんが書くポップも出ている。おすすめの本は、やはり面白い本が多いし、大好きな本に出会える確率も上がる。一人の好きな作家さんが、見つけたらその方の別の本を読んでもいいし、その中で紹介される本を読んでもいい。

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本を読む意味

 今孤独で悩んでる方、恋人と分かれて寂しい方、つらい人呼んで欲しい。私も昔、中学生時代に本に救われた一人である。その頃クラスに友達をなかなか作ることが出来ず、とても悩んでいた。休み時間になると向こうの机に人が群がり楽しく何やら話しているが、自分は相手すらされなかった。そんなときに自分の机の上に本を広げると、視界が文字になる、面白くて周りが気にならなくなる、それに太宰の「人間失格」に出てくる主人公の方が俺より孤独。なんて考えたら気持ちが楽になれる。

 執筆されてから時の洗礼を受け、それでも生き残る本は非常に価値がある。ネット上の記事は、一貫性がない場合も多い。私たちが日々感じる悩み、つらさ、嫉妬などの感情や問題は昔の偉人たちも感じてきた。本には、我々よりも専門の知識を持つ方や、昔の偉人たちが、解決方法を提案してくれる。我々が一人で考える思考というのは、なかなか深堀できない。しかし、昔の超人が考えた解決策を踏み台にして、自ら検証することで、さらなる深みに到達してよりよい解決策を得る手段にもなる。また、小説や自己啓発本の他にも、趣味の本など多彩な本が存在している。本を通して自らの世界を広げることが出来る。

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 このブログを読んでくださった、皆さんが大好きな本に出会えることを願っております。

明日香村旅行記

大好きな古墳めぐりツアー!!

去年の5月を過ぎたころ、奈良明日香村にいた。旅はいつも一人なのに、今回は特別ゲストがついてきてくれた。飛鳥駅の近くには、レンタル自転車屋さんがある。もちろん事前に調べずみ、だって初の遠出で失敗してかっこ悪いところみせたくない。このレンタル屋さん とても親切で、サドルの高さを調節してくれる。準備が整ったらいざ出発!!

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東京と違って起伏に富んだまっすぐな道路、四方を囲む山、緑いっぱいの道を地図を片手に自転車で進んでいく。目的地には、変な石、喫茶店の横にある亀の石、緑のプリンのような古墳。ほんとに、なんでもない田舎にひっそりと僕が生まれる前からず~っとある。誰が何のために作ったのかさえ分からない。

 

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古墳はいわずもがな、お偉いさんのお墓である。しかし、今は緑のプリンや木が生えたお山と言う方が正しいかな。ただ小山を見つめても楽しくないが、明日香村の石舞台古墳では、巨大な石で出来た部屋の中に入ることが出来る。石で出来た部屋の中には、棺はない。どこへ棺はどこへいったのか、もしかしたら昔のお偉いさんが秘密基地を作ったのか?石舞台古墳は今では、大きな石が成す石室があるだけだ。ガイドブックの写真でも石しか映さないし皆さんも、作られた当時からこの姿だとお思いだろうか? いや実は、昔は土をかぶっていたのである。少し巨石から離れて広い視野を持って見てみよう!方墳であった名残が見えてくるはずである。そう考えると、今は巨石がむき出しとなっているが、これはある意味奇跡なのかもしれない。

 

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奈良明日香村、きっとあそこでは、今も時間がゆっくりゆっくり流れる別の世界がある。そういえばあの時、彼女は何を感じていたのだろう

 

風のふくまま気のむくまま

はじめに

 私は、理系の大学に通っています大学生です。自分の好きなことを書きたい、自分の世界を表現したいと思い立ち文章を書きます。自分の気の向くまま風の吹くまま気楽に、楽しく書きたいと思っています。私の楽しかったこと、興味あること少しでも分かち合えたならとても嬉しいです。理系の学生も?非常に多忙ですが、「忙しくても好きなこともやる」そんな心境です。

 私には、興味あることが多すぎます。これは母のおかげでもあります。幼い頃は、虫が好きでしたから、バッタとりにクワガタを追いかけました。母はそんな私に、休日を費やして付き合ってくれたり、図鑑を買ってくれたり協力してくれました。いわゆる子供の自主性を尊重しながら、いい意味でほっといてくれました。母が意図した教育方針なのかは分かりませんが、、、。大人ができることは、子供たちが何か夢中になれるものを探す手伝いをすることと応援することではないかと思います。

 私の母は、音楽の先生でしたから必然的に物心がつく頃には、ピアノを習わされていました。私の家庭では、ピアノを30分練習したらゲームをすることが許されていたので、嫌嫌していました。嫌嫌ながらも10年間は続けたら、それなりになるものでベートーベンのピアノソナタ「悲壮」が弾けるようになりました。その後一度、ピアノはやめましたが、大学生に入り楽器がやりたくなり今では再びピアノを弾いています。嫌嫌やらされているときは、30分の時間がほんとに長く感じられたものです。今は自発的になり、初めて心の底からピアノの楽しさに気づきました。単純な練習曲を弾いているときも、「この曲は、小指の動きをよくする練習のなか」などと、意味が読み取れ面白さを感じることができます。どんなに簡単な曲でも綺麗に聞こえるように弾くことができるまではとても難しいものですが、若干の騒音被害を出しながら毎日少しずつ練習しています。

 私の日常は、変な式を計算し、訳のわからない教科書と格闘し、ベランダの野菜ちゃんに一日一回水をあげ、大好きな料理をする毎日です。日々勉強したことや、読んだ本などの感想についても書けたら、いいなと思っています。テーマは自由に決めずに、楽しんで書くつもりです。また、遊びにきてください。